手放すとどうなるの?〜バシャールの視点

いつもありがとうございます。

バシャールのセッションから、手放す(letting go)、降伏する(Surrender)という概念について語っている英文テキストを訳してみました。すでに、十分聞きなれた言葉、概念ではありますが、それらの奥にあるものはなんでしょうか?

手放して降伏するとどうなる?

この手放すという概念について、私たちは、数々の異なる視点からお伝えしてきました。そして、皆さんは、数々の異なる視点から耳を傾けてきました。

“降伏する”というコンセプトについては、皆さんは、いろいろな解釈をお持ちですが、何度もお伝えしてきたように、物事は常に、”これ(this)とあれ(that)”であり、単に、”これ、もしくは、あれ”ではないことを理解してください。よって、霧ようにぼんやりとしたなかでの降伏するという行為も、本来の自分を諦めるということではまったくありません。それは、本来の自分を受容し主張することなのです。これが鍵となります。

しかしながら、皆さんの物理的現実で起こること、そして、無限において起きてきたことについて話をさせてください。見習生とその他の人々に関して私たちが言及してきた事象です。

皆さんは、今後も、自身が好む現実を体現するために、観念に注意を払う、自身の定義に触れる等々、今まで私たちが討議してきたすべての概念にたいして、一生懸命に押し進み、もがき、努力し、集中し、勤勉に取り組んでいる自分自信を幾度も発見することでしょう。それは、まったく結構なことですが、非常に重要なことを理解して頂きたいのです。おそらく、これは、自分自身を把握することのできる最も重要で極めて大切な概念かもしれません。

これら全てのコンセプトは、自身の異なるパーソナリティの側面に触れる目的のため、また、自身を明確し、自身の観念、パーソナリティ構造、物理的感覚における自身の意識にたいして、より意識的になる目的のためには、まったく優れています。どれも時間の無駄にはなりません。

しかし、今、皆さんは、集合意識において、ある意味、十分すぎるほど逆説的ですが、それらすべてを忘れることができる地点、時、タイミングに到達しました。私たちが云う、そのすべてについて全部忘れる、とは、まったく文字通りの意味です。
皆さんにとって、多くのことを忘れ、ギブアップし、手放して、ただ止めるときなのです。そして、そのやり方を皆さんがするとき、自動時に、仏教徒の”思考を止める”という概念を成し遂げます。
自身の行動と存在性が、自動的に同調していくののが分かり、皆さんが、それを起こすために何かをする必要がないと気づくでしょう。

創造主を象って創られた自分を実感する

”降参する”と”手放す”という概念は、ミラクルを起こします。
なぜなら、以下にお伝えすること・・・お望みなら、自身の解釈にくらくらしても構いませんが、それぞれ皆さんすべてが、創造主を象って創られてることを理解しなければなりません。だから、手放すことは、功を奏するわけです。

なぜかというと、皆さんが、ある意味、宇宙に対して、努力することを止め、断念し、手放し、委ねるとき、
ただ自身を静め、穏やかになり、自身に努力するのを止めて、こうしなければならない、お金持ちになりたい、あれがしたい、これがしたい、それを取得したいといった希望、夢、望み、焦点を手放し、手放しても大丈夫だと自身に告げるとき・・・・
皆さんが、そのように忘れても問題ないとすると、創造主を象って創られた自分自身を真に認識し実感するでしょう。

それは、皆さん自身が、無限の可能性のエッセンスということなのです。
皆さん自身が、あらゆる可能性があるもの、あらゆる出来事、あらゆる体験なのです。
それが、皆さんです。皆さんが所持しているものとか、皆さんに起こったことではありません。
なぜなら、大いなるすべては、あらゆる可能性のある物事、出来事、体験、アイディア、ミラクルなのです。無限で無条件です。

次回に続きます。

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